koyaken4852のブログ

ネパ-ル暮らしの日記や、主にネパ-ルの写真を掲載

ネパ-ルのお祭り その2

ネパ-ルのお祭り その二回目

 前回の一回目は、ネパ-ルのお祭りは一年の間その数が多いことを書き、女性のお祭りティ-ジュ祭を写真で見た。

 ネパ-ルのお祭りは、札幌で6月に行われる札幌祭り(北海道神宮祭)に街中を練り歩く山車ダシと似たものがある。西暦10月のダサイン大祭には、生き神様のクマリが街中を練り歩く。このクマリ、カトマンドゥ旧王宮のクマリの館に住み、普段は館(寺院)に住んで参拝者の健康祈願などに応えている。

 又、4月~5月に行われるパタン市のマチェンドラナ-ト祭では、山車巡行際を行っている。この山車、大きな車輪の台座の上に木の葉の付いた10mぼどの柱を立て、木製の車を廻してパタン市内を練り歩く。

 ネパ-ルの主なお祭りの特色は、各家庭で各々が礼拝のプジャの儀式を行い、そのプジャ中に祝福のティカの儀式を行う。

 私は10年前からネパ-ル暮らしをしていて、お祭りの日にネパ-ル人宅のプジャに招かれている。このお祝いの日に行われるティカについて、私の感じたティカ儀式を少し説明する。

 ティカは人の顔の額に指や棒で印をつける儀式で、お祭りにあたっての祝福の儀式。私が観たところでは二種類。一つは米粒を額に塗りつける物。この米粒は、煮た米をそのまま額に付けるものと、米粒に赤色を付けての二種類ある。ネパ-ルの友人の話では、どちらも正解で、カ-ストや人種によって異なる時もあるが、今では人種やカ-ストに関係なく、その時に家長かその場に集まった最年長の男性が決めたり。家によっては、かかあ殿下の家では奥さんが決めても良いようだ。

 米粒を額に塗りつけるのだから、少量なら良いのだが、額一杯に米粒を塗り付けて額全体が真っ赤になったりする。この米粒のティカ、誰が誰に着けても良い。親戚一同が集まり、まずお酒とつまみを食べながら和気藹々と過ごしながら、ティカの用意をする。そして、一対一でも良いし、数人対数人でも良く、する側とされる側の位置は変わらない。男女も入り乱れて、写真を取り合いながら皆楽しく祝福し合う。海外に住む家族とは、スマ-トホ-ンで互いに顔を見ながら、ティカの儀式の映像を送っている。私の招かれた一家では、オ-ストラリアに住む娘夫婦とやり取りしながら笑いが溢れる儀式だった。オ-ストラリアでもネパ-ルの儀式に使われる品々と同様に買い揃えてプジャが行われていた。

 他の一方のティカは、七色の粉末を水で溶いて、一色一色を丁寧に額に付ける儀式。七色の塗り付ける順番があるのかどうか判らない。

 上記の米粒を使うティカはダサイン大祭。七色の色を額に付けるのはティハ-ル祭で行われている。ティハ-ル祭のティカはダサイン祭と異なり、普通は年下の女性が年上の男性にのみ行われる。私が見た限りでは、ティハ-ル祭では七色ティカと赤一色のティカもあって、年下の女性が居ない場合は年上の女性がしていたこともある。

 私は友人の奥さんにしてもらった。私がフラットを借りている大家さんは、毎年妹さんにしてもらうために、カトマンドゥから200kmも離れたポカラ市まで往復している。

 このティカの儀式はお祭りに限らない。私がカトマンドゥ旧王宮広場内の寺院で経験したのは、お寺に現金を寄進した時に、お坊さんが赤色をティカしてくれた。寺院へのカンパは功徳を積む一つになる、そのお返しの意味を込めた祝福のティカだと思われる。タイ国のお坊さんに食べ物を寄進する光景をテレビなどで見かけるが、これも徳を積むことになる。ヒンドゥ-教では徳を多く積み重ねることで、輪廻転生で又人間に生まれ変わりたい希望が叶えられるらしい。人間以外の動物や昆虫には生まれ変わりたくないのが普通の人間の思いだ。

 

そもそもティカの儀式はどうして行われるようになったのか。

これはネパ-ル人に聞いた話。

 ネパ-ルの国王が戦争に勝って、その勝利を祝ってティカをしてもらった。国王はこのティカをしてもらったことに大いに感激。その後このティカを祝福の儀式として国民に広げた。

 今回はお祭りの時の、プジャのティカ儀式を記述してみたが、現在のネパ-ルではティカが祝福の儀式として定着している。私がネパ-ル人友人の甥の結婚式に正式にご招待してもらった時、新郎の母親が大勢の招待客に一人ひとり丁寧なティカをしてた。

 新婦がカトマンドゥ市内に住み、新郎が地方から出て来て、夕方からの披露宴会場のホテルに招待客が勢ぞろいしてのティカ儀式だ。

 

お祭りのプジャに集まるお客様へはお土産付き。

 お祭りのティカの儀式の日には、親戚一同がどこかの家に集合する。この時はティカの儀式を司るための色々な品物が必要になる。それと親戚や友人などへのお土産も買い求める。お祭りに因っては家々を飾り、道路も飾り付けられる。

 日本のお祭りは関係者と寺院などが準備から実施まで行い、普通の家庭では特別のご馳走を食べお酒を飲むくらいで、正式なお祭り儀式は無い。

 ネパ-ルのお祭りには、祝福する主賓のお客様へ掛ける花輪、儀式のお祈りに必要が端や米や線香やロウソク、お供えする果物や菓子、ティカの色粉末、そしてお土産。これら多くの品物がお祭り前日までに買い揃えられる。それもネパ-ル全国の家々での話。

 これらの品物を売るバザ-ルが、既存の店舗とあちこちに臨時の店舗ができる。そして市民が一斉に買うのだから、道路はバイクと車と人々で溢れることになる。

 

お祭りに必要な品物を買い求める市内

バザ-ル周辺の道路はこの有様

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主賓やお客様に掛ける花輪などのバザ-ル

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お客様へのお土産 パツクされたお菓子など 母親は男の子供へ

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お祭りの準備 買い出しで街は人々で溢れる

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お祭り 女性の一団がお通り

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七色のティカの粉末

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バクタプ-ルの山車

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チャングナラヤンの小さな山車

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結婚式の招待客へ祝福のティカ 新郎のお母さんから私に

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七色のティカの儀式を終えてお土産

お母さんからお客様へ

姉から弟へ

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お父さんから娘と甥へティカの儀式とお祭りのお小遣い 米粒だけのティカ

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ネパ-ルのお祭り

ネパ-ルのお祭り

 ネパ-ルのお祭りは多い。私は10年前から札幌とネパ-ルを行ったり来たりしてネパ-ル生活をしている。一年中次から次と行われるネパ-ルのお祭りは、ネパ-ル暮らしに退屈さを感じさせない。

 代表的なお祭りはダサイン大祭。その他にティハ-ル祭やティ-ジュ祭などがネパ-ル全国のお祭り。ダサイン大祭は二週間、ティハ-ル祭は五日間続く。

 この他にも歴史の古い小地方都市に限られる多くのお祭りが行われている。特にカトマンドゥ盆地には、華々しいネワ-ル文化と共に栄えるお祭りも多い。ほとんどのお祭りは宗教的で、ヒンドゥ-教が多く、仏教やチベツト仏教徒のお祭りもある。

ビスケ-ト祭、マチェンドラナ-ト祭、シヴァ・ラ-トリ-祭、シュリ-・パンチャミ-祭、インドラ祭、ブッダ・ジャヤンティ祭、ホ-リ-祭、等々。

 多くのお祭りを祝う国民性があるので、クリスマスも祝うし、お祝いに近い形の行事としてのメ-デ-や民主主義の日・共和制記念日・子供の日・民主記念日、などの祝日がある。

 インドとチベツトに囲まれたネパ-ルなので、インドと共通のお祭りがある。ダサイン大祭やティハ-ルなど。世界的なヒンドゥ-教寺院のパシパティナ-ト寺院の祭りは、インドからバスを連ねてインド人が参拝する。

 また、カトマンドゥ市内から25km離れたパナウティのマゲ・サンクランティ祭は、12年に一度冬至を祝うお祭りで、ネパ-ル中から数十万人が押し寄せる。寒い1月~2月に沐浴する姿が見られる。

 これら多くのお祭りの日を決めるのは、そのほとんどが太陰暦に従うので、暦通りに毎年決まった日にちではない。

 そして、全国的祭日は官公庁がお休みになる。日本のお正月やお盆の様に職場の従業員が故郷に帰ることから、レストランや商店が一斉にシャッタ-を下ろして休む。レストランでの食事を予定していて食べれないことになる。事前に食材を買い込まなければならない。またこの間食品工場が休むのでス-パ-マ-ケツトなど再開しても、しばらくはパンなどの食材が品切れが続くので注意しなければならない。

これらネパ-ルのお祭りを写真で見てみる。

 

 

ティ-ジュ祭

ヒンデゥ-教のシヴァン神にお参りする女性のお祭り  

9月のモンス-ン明け近く三日間続く

女性がたくさん食べてダンスをする

次の日には、断食してシバ神にお祈りする

寺院に集まった女性が踊り出す  数少ない男性は見物

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ネパ-ル中三々五々、サリ-を着飾った女性がヒンドゥ-教寺院にぞろぞろと行列をつくって向う

赤色のサリ-姿は既婚女性

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ぞくぞとヒンドゥ-教寺院に参拝

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バクタプ-ル

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ネパ-ルの世界遺産  カトマンドゥ盆地世界文化遺産に匹敵するカトマンドゥ盆地内六ヶ所の寺院と仏塔の7回目

ネパ-ルの世界遺産 

 カトマンドゥ盆地世界文化遺産に匹敵するカトマンドゥ盆地内六ヶ所の寺院と仏塔の七回目以下のカトマンドゥ盆地内の古い寺院や仏塔などを写真で見てみる。 

①パナゥティ-   

②ドゥリケル    

③ティミ    

④サク-    

⑤ブダニ-ルカンタ    

⑥キルティプル 

 

今回は⑥キルティプル

 キルティプル町は、カトマンドゥ中心街からカトマンドゥ市街を取り囲む様に走っているリングロ-ドを横切り、その南西側約5km。

 カトマンドゥ市の隣のパタン市の一部として12世紀に建てられた。一時ここの地域だけ独立した時期の歴史がある。人々の住む家々も古いレンガ家が家並みを作っている。

カトマンドゥ市内から見上げる様な丘の上の町になっていて、市内の眺めが良い。

街の下部には国立のトリブヴァン大学のキャンバスがある。

 

マッラ王朝時代のカトマンドゥ盆地3王時代

13世紀 バクタプル王国

1450年頃 バクタプル王国からカトマンドゥ王国が独立

1619年カトマンドゥ王国からパタン王国が独立し、カトマンドゥ盆地3王時代

この時代1619年からキルティプル町が誕生。

 それから約150年後、1769年・カトマンドゥから西に約100kmの小高い丘の上に王宮がある第10代シャハ王のプリトゥビ・ナラヤン・シャハが、カトマンドゥ盆地3王を武力で勝戦。マッラ王朝からシャハ王朝時代に歴史を進める。

 このシャハ王朝、1990年ころからのネパ-ル民主化で最後は絶対君主制ではなかったが、2008年のネパ-ル王政廃止まで続く。おおくの血が流されたネパ-ルの民主化は、王政廃止とヒンドウ-教の国教廃止に辿り着く。

 この時の1769年の戦い、3王敗戦するがここバタン王エリアの一部キルティプル町兵士は、6ケ月間も戦いを持ち堪えたと云われている。

 

キルティプル町新入口 kirtipur

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旧入口

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チランチョ・ビハ-ル Chilancho vihar  仏塔を小4仏塔が囲む

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ナラヤン寺院

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バグ・バイラ寺院 Bagh bhairav mandir

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ウマ・マヘシュワ-ル寺院 Uma maheshwar mandir

1673年建立のヒンドゥ-教寺院

シヴフ神とその妃のパ-ルヴァティ-神を祀っている

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 寺院前のこの像、馬の鞍同様の鞍がつけられている。ゾウのお腹に鞍を括り付ける紐が回されている。ゾウの背に子供など乗って遊び、落ちて負傷するのを防止している

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奥に博物館

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丘のキルティプル町から眺めるカトマンドゥ市内

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キルティプルの古い家々の街並み

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ネパ-ルの日本食レストラン

ネパ-ルの日本食レストラン

 3月16日の夕方、ネパ-ルのカトマンドゥ市内で日本食レストランを営んでいるオ-ナ-の友人から電話がきた。

電話は今釧路から、明日札幌に入るので一緒に食事でも。

 私がカトマンドゥ暮らしをしていて、彼と奥さんとで札幌に遊びに来たら美味しい北海道の魚でも食べましよう、と相談していた。

 早速17日にススキノの寿司処西鶴で4ケ月ぶりに、再開を祝して乾杯。元の大阪の職場の仲間など8人も集まる。

 彼のレストランは12年前に開店し、カトマンドゥの市街から少し離れたパニポカリ町にある。パニはネパ-ル語で水。カトマンドゥ水道局の道路を挟んで向いのビルの2階。

 2015年4月25日のネパ-ル大地震でビルの一部にヒビが入って、やむなく一週間ほど休業。その後2016年1月に市の中心部のホテルビルの2階に引っ越して営業を続けている。

 この日本食レストラン、魚類は全て大阪から冷凍でネパ-ルへ輸出して使用し、肉も神戸牛を持ち込み、本格的な日本食の料理を出している。カトマンドゥには7、8軒の日本食レストランがあるが本格的なのはここだけ。私はネパ-ル食を食べるためにネパ-ル生活をしている訳ではないので、週に何度かはこのレストランで食事をしている。

 ご夫婦は北海道から大阪に帰ってから、今月末にはカトマンドへ帰る予定で、その時もお二人で180kgの魚を持参する。

 この荷物は預け荷物と機内持ち込みで、勿論無料。オ-バ-チャ-ジは取られない。普通のフライトの場合は、例えば大韓航空なら預け荷物20kgと機内持ち込み荷物12kgの合計32kgまで無料でOK。日本とネパ-を行ったり来たりしていると搭乗回数が多くなり、一定数を超えると預け荷物一人二個で50kgとプラス12kgで62kgまで無料で運べる。彼の場合、大韓航空でなく他の飛行機会社で、預け荷物60kgと機内持ち込み荷物30kgの合計90kgまでOKとのこと。

 すごい重い荷物を運び、なんと一年に13、14回往復している。荷物は全て冷凍なのだが、ドライアイスなどを入れないそうな。完全冷凍にしてプラスチック包装など工夫すると、約24時間は大丈夫。よく融けないものだ。

 

ホテルビル 2階に日本食レストラン

ビルの左奥にイギリス大使館

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超満員の日本食レストラン店内

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お昼のランチボックス 600RSルピ-  1ルピ-=1円

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ネパ-ルの世界遺産  カトマンドゥ盆地世界文化遺産に匹敵するカトマンドゥ盆地内六ヶ所の寺院と仏塔の6回目

ネパ-ルの世界遺産 

 カトマンドゥ盆地世界文化遺産に匹敵するカトマンドゥ盆地内六ヶ所の寺院と仏塔の六回目、以下のカトマンドゥ盆地内の古い寺院や仏塔などを写真で見てみる。 

①パナゥティ-   

②ドゥリケル    

③ティミ   

④サク-    

⑤ブダニ-ルカンタ    

⑥キルティプル 

 

今回は⑤ブダニ-ルカンタ Budhanilkantha

 カトマンドゥの市街からラジンパット道路をフランス大使館や日本大使館・アメリカ大使館前を通り、リングロ-ドを横切って約10km。カトマンドゥ盆地を取り囲む山々のシヴァプリ山の麓のブラニルカンタ町に、大きな涅槃石像ヴィシュヌ神が横たわっている。

その石像、神の身体だけでも5mの大きさ。

 聖水を満たしたプ-ルに、聖蛇の上で涅槃瞑想するヴィシュヌ神は7~8世紀の建立と云われている。

 ヴィシュヌ神像の横たわる池には、他のヒンドゥ-教寺院と同様に、参拝するヒンドゥ-教徒しか入場できない。

 ヴィシュヌ神、宇宙維持神で、ネパ-ルのヒンドゥ-教では、他の二神の宇宙創造神と宇宙破壊神を合わせた3神がある。

宇宙創造神はブラフマ-神 Brahma 

宇宙維持神はヴィシュヌ神 Visnu 

宇宙破壊神はシヴァ神 Shiva 

 

 ブダニ-ルカンタ寺院に横たわるヴィシュヌ神は、唇に紅を差している。美男子と云われているクリシュナ神や叙事詩ラ-マ-ヤナの主人公であるラ-マ王子は、このヴィシュヌ神の化身。ヴィシュヌ神のヘソからブラフマ-神と、額からシヴァ神が誕生している。胸にオッパイが無いので男神だろうが、誕生した神の母親神でもある。

ここのヴィシュヌ神は死後の世界を表す涅槃だが、他の場所や神像などは普通の生き神様。

 死後の世界のブダニ-ルカンタ寺院、ネパ-ル国王は歴代誰として一度も参拝に訪れたことはない。さすが死の世界に、現実や希望を見出すことが宗教界でもないのであろうか。徳を積み重ねて得る輪廻転生世界のヒンドゥ-教でも。

 ちなみに、ネパ-ルの国王制度は、ヒンドゥ-教と対の制度になっていた。その証拠をネパ-ル憲法条項を見てみる。

1990年ネパ-ル憲法

第5章 国王

第27条 (国王)

第1項 国王というのはプリテイビ・ナラヤン・シャハ大王の子孫でありアーリア文化とヒンズー教の信奉者である現に君臨する国王を意味する

 現在の憲法は1990年前後から始まった民主化で、国王はただの一人の国民になり、国教のヒンドゥ-教も廃止されている。

 

このお寺、内部は他のヒンドゥ-教寺院と同様に写真撮影は禁止されている。

 ブラニルカンタ町まで、街中のラジンパット道路を北に向かうトヨタ・ハイエ-スの乗合バスに乗り、片道20RSルピ-。

 

涅槃石像のヴィシュヌ神

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普段身体を覆う布きれが洗濯されて干されている

これだけ身体を露わにしているのは珍しい

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ネパ-ルの世界遺産  カトマンドゥ盆地世界文化遺産に匹敵するカトマンドゥ盆地内六ヶ所の寺院と仏塔の5回目

ネパ-ルの世界遺産 

 カトマンドゥ盆地世界文化遺産に匹敵するカトマンドゥ盆地内六ヶ所の寺院と仏塔の五回目以下のカトマンドゥ盆地内の古い寺院や仏塔などを写真で見てみる。 

①パナゥティ-   

②ドゥリケル   

③ティミ    

④サク-    

⑤ブダニ-ルカンタ    

⑥キルティプル 

 

今回は④サク- Sankhu

 カトマンドゥのリングロ-ドからボダナ-トの前の幹線道路を通り15km。カトマンドゥ盆地を取り囲む小高い山の支尾根の麓、行き止まりの町がサク-。

カトマンドゥ市内のシティ・バスパ-クから一人35RSルピ-。(2016年10月現在)

 ネパ-ルヒマラヤを遠望するホテルやロッジが建て並ぶ、山の上のナガルコットから半日のトレッキングでサク-町に着く。着いてすぐに寺院に出会える。

 バスで着くサク-・バスパ-クの左にある門から町内に入る。10分程歩くと、山の上にあるヴァジラ・ヨギニ寺院へ上がる階段がある。この階段なんと615段。

 ヴァジラ・ヨギニ寺院は1655年にプラタプ・マッラ王が建立。カトマンドゥ盆地内では古い順に二番目の寺院。名前の「ヨギニ」は女性のヨガ行者の意味。

 仏教寺院だがヒンドゥ-教徒の信仰も厚く、お祭りには多くの信者が訪れる。615段の階段を家族で楽しみながら歩き、寺院ではプジャ(礼拝)のために並んで列を作ってる。

祭りには寺院手前でニワトリの生け贄を捧げ、帰りには肉を持ち帰る。

 

ナガルコットの稜線にホテル群がかすんで見える

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ナガルコットからネパ-ルヒマラヤの尖峰を望む

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マガルコットから3時間30分の下山、段々畑の向こうにサク-の街並み 12月

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ナガルコットから下りると、菩提樹の側に寺院

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カトマンドゥからサク-のバスタ-ミナル着

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町に入る門

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ストゥパ 仏塔

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2015年4月25日 ネパ-ル大地震で積み上げた石がずれている

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山の稜線近くにある寺院へ 615段の階段を家族が楽しく行き来する

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ヴァジラ・ヨギニ寺院  並んだ二棟の寺院

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ヴァジラ・ヨギニ寺院  並んだ二棟の寺院

プジャ参拝のために並ぶ仏教徒とヒンドゥ-教徒

2015年4月25日 ネパ-ル大地震の余震で倒壊しないようにつっかえ棒

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農産物取り入れ  枝豆 9月

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ネパ-ルの世界遺産  カトマンドゥ盆地世界文化遺産に匹敵するカトマンドゥ盆地内六ヶ所の寺院と仏塔の4回目

ネパ-ルの世界遺産 

 カトマンドゥ盆地世界文化遺産に匹敵するカトマンドゥ盆地内六ヶ所の寺院と仏塔の四回目以下のカトマンドゥ盆地内の古い寺院や仏塔などを写真で見てみる。 

①パナゥティ-   

②ドゥリケル    

③ティミ    

④サク-    

⑤ブダニ-ルカンタ    

⑥キルティプル 

 

今回は ③ティミThimi の町を写真で見てみる。 

 カトマンドゥのリングロ-ドから東に向かうアルニコ高速道路をバクタプル市への途中の町。

高速道路と高速道路ができる前の旧道に囲まれた街中に古い寺院などが点在する。

 ハイウエ-側をナヤ・ティミNaya・thimiと呼び、町の北側にある旧道側をプラノ・ティミPlano・thimiという。

この街にはバクタプルと同様の素焼き陶器の工場がある。

 

バルクマリ寺院 Bal kumara

豊穣と雨乞いが叶えられる子供のクマリ神バルクマリを祀る寺院

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バイラブ寺院 Bhairav mandir

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シッディカリ寺院 Siddhi kali mandir

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2015年4月25日ネパ-ル大地震の影響  危ないあぶない

街の奥に歩いて、帰って来ると、揺れもしないのに家の上部が崩れていた  

後片づけの人達

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養護学校 日本の援助で建築された

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表門 ハイウエイ-から北側のティミ町に入る

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裏門

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