ネパ-ルの仏像
昨日3月12日日曜日、1月と2月の二ケ月間冬休みのお蕎麦屋さんが、三か月ぶりに店を再開したので、美味しいお蕎麦を食べに行った。
今年は12月に南区は大雪だったが、町内は3月に入って道路の除排雪が済み、お蕎麦屋さんまで快適に車を走らせた。
金曜日から日曜日の週三日だけ開店のお蕎麦屋さん、日曜日は予約の客しか食べられない。このお蕎麦屋さん、ミッシェランガイド2014年に掲載のソバやテンプラなどの味、そして店構えと店内雰囲気、ご夫婦お二人の接客、等々が「秀」のお店。
店を入るとすぐの場所に、花を生ける花器の中に仏像が祀られているのを発見。おソハ屋さんの大将が、ご自分で作成した大きな活け花器。お店で出されているソバなどを盛る器の大半も、ご自分で作成焼いた陶器を使用する陶芸家でもある。
この花活け器の中に鎮座する仏像、私がネパ-ルにフラットの借家を借り、札幌とネパ-ルを行ったり来たりし始めた頃、大家さんに帰札時にお土産としてもらったもの。もう7、8年も前になるだろうか。
日本では仏教の寺院にあるものは仏像。そして神社などに祀られているのは神様の神像。神像は見たことがないので、ただの神か。けれど、日本ではそれぞれハッキリと区別できる。だが、ネパ-ルではどうか。これがあやふやといおうか、何か区分が判らない。。
ネパ-ルの信仰は、ヒンドゥ-教徒が人口の80数%、他にチベット仏教などの仏教徒が約10%、他の数%はモスクで礼拝するイスラ-ムや協会でお祈りするキリスト教徒など。
ネパ-ル人の多くが信仰するヒンドゥ-教とチベット仏教は、ネパ-ルで生まれたブッダ(釈迦)が元々で、インドからアジアなどに広がったブッダの教え(教義)が始まりの信仰。この「教義」、イスラ-ムの「戒律」とは少し違う。他の宗教との共存ができる融和を内含しているらしい。その為なのかネパ-ルでは、私には仏像と神(神像)の区別をつけるのが難しい。日本人が一見して仏像と思える姿形のものも、それは神だったりする。
ネパ-ルの仏(神)像造りは、先祖代々に苗字をシャキャと云うネワ-ル族一族が作っている。その仏像は、寺院に鎮座する数メ-トルのものから、このお蕎麦屋さんにある10数センチ、そして小指の半分くらいの極小のものある。素材も色々あり、金細工のものや銅製のものなど。
ネパ-ルでは、13世紀のカトマンドゥ盆地を支配したマッラ王朝ころから建築や木工・木彫、金銀製品や石像など、ネワ-ル族が一風を風靡していた。今日でも変わらずにネワ-ル文化が引き継がれている。
2015年4月25日のネパ-ル大地震で倒壊し、これら多くの文化遺産が失われた。
カトマンドゥ盆地内で復興が進む建築物は、100%ネワ-ル族が携わっている。私のライ族の友人は「バラサ-ブ、世界遺産などの壊れた文化財の復興再築に、どうしてネワ-ル族だけが関わっているの」と聞いてきた。ネパ-ル人が日本人に聞く様なことではないのだが、ネワ-ル族とネワ-ル文化の説明で納得してくれたようだ。
お蕎麦屋さんの花器の中に祀られている仏像、ネワ-ル族の大家さんからのプレゼント。大家さんから貰ったプレゼントはこの他にも、銅製品の注ぎ口の大きなお酒の徳利や木彫の額縁などが我が家にある。作られたのはカトマンドゥ市の隣町パタン市。ここに多くのネワ-ル族が住んで、仏像や絵画の額、鍋釜など製造し店開きしている。私の女房がカトマンドゥで描いた水彩画の額も、大家さんの車でパタン市内の大家さん友人の額縁専門店に出向いたものだ。
生け花の器が二つ並べられている
極小の仏像
像の顔のガネ-シヤ神Ganesha
ボダナ-ト仏塔近くの寺院の仏像